腹の音を聞くと、私は子供のように悲しくなって来て、遠く明るい廓《くるわ》の女達がふっと羨《うらや》ましくなってきた。私はいま飢えているのだ。沢山の本も今はもう二三冊になってしまって、ビール箱には、善蔵の「子を連れて」だの、「労働者セイリョフ」、直哉の「和解」がささくれているきりなり。
「又、料理店でも行ってかせぐかな。」
 切なくあきらめてしまった私は、おきゃがりこぼしのだるまのように、変にフラフラした体を起して、歯ブラシや石鹸や手拭を袖に入れると、私は風の吹く夕べの街へ出て行った――。女給入用のビラの出ていそうなカフエーを次から次へ野良犬のように尋ねて、只食う為《た》めに、何よりもかによりも私の胃の腑《ふ》は何か固形物を欲しがっているのだ。ああどんなにしても私は食わなければならない。街中が美味《おい》しそうな食物で埋っているではないか! 明日は雨かも知れない。重たい風が飄々と吹く度に、興奮した私の鼻穴に、すがすがしい秋の果実店からあんなに芳烈な匂いがしてくる。

        *

(十月×日)
 焼栗の声がなつかしい頃になった。廓を流して行く焼栗屋のにぶい声を聞いていると、妙に淋
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