の行燈を見ていると、不意に頭をなぐられたように母がいとしくなってきて、私はかたぶいた梟《ふくろう》の眼のような行燈をみつめていた。
「寒いのう……酒でも呑まんかいや。」
茶の間で母と差しむかいで一合の酒にいい気持ちになっている。親子はいいものだと思う、こだわりのない気安さで母の顔を見た。鼠の多い煤けた天井の下に、又母を置いて去るのは、いじらしく可哀想になってしまう。
「あんなひとは厭だわねえ。」
「気立はいい男らしいがな……」
淋しい喜劇である。ああ、東京の友達がみんな懐しがってくれるような手紙をいっぱい書こう。
*
(一月×日)
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海は真白でした
東京へ旅立つその日
青い蜜柑《みかん》の初なりを籠いっぱい入れて
四国の浜辺から天神丸に乗りました。
海は気むずかしく荒れていましたが、
空は鏡のように光って
人参《にんじん》燈台の紅色が眼にしみる程あかいのです。
島での悲しみは
すっぱり捨ててしまおうと
私は冷たい汐風《しおかぜ》をうけて
遠く走る帆船をみました。
一月の白い海と
初なりの蜜柑の匂いは
その日の私を
売られて行く女のようにさぶしくしました。
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(一月×日)
暗い雪空だった。朝の膳の上には白い味噌汁に高野豆腐に黒豆がならんでいる。何もかも水っぽい舌ざわりだ。東京は悲しい思い出ばかりなり。いっそ京都か大阪で暮してみようかと思う……。天保山《てんぽうざん》の安宿の二階で、何時《いつ》までも鳴いている猫の声を寂しく聞きながら、私は呆《ぼ》んやり寝そべっていた。ああこんなにも生きる事はむずかしいものなのか……私は身も心も困憊《こんぱい》しきっている。潮臭い蒲団はまるで、魚の腸のようにズルズルに汚れていた。風が海を叩いて、波音が高い。
からっぽの女は私でございます。……生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。さて残ったものは血の気の多い体ばかりだ。私は退屈すると、片方の足を曲げて、鶴のようにキリキリと座敷の中をまわってみる。長い事文字に親しまない目には、御一泊一円よりと壁に張られた文句をひろい読みするばかりだった。
夕方から雪が降って来た。あっちをむいても、こっちをむいても旅の空なり。もいちど四国の古里へ逆もどりしようかとも思う。とても淋しい宿だ。「古創《ふるきず》や恋のマントにむかい酒」お酒でも愉しんでじっとしていたい晩なり。たった一枚のハガキをみつめて、いつからか覚えた俳句をかきなぐりながら、東京の沢山の友達を思い浮べていた。皆どのひとも自分に忙がしい人ばかりの顔だ。
汽笛の音を聞いていると、私は窓を引きあけて雪の夜の沈んだ港をながめている。青い灯をともした船がいくつもねむっている。お前も私もヴァガボンド。雪が降っている。考えても見た事のない、遠くに去った初恋の男が急に恋しくなって来た。こんな夜だった。あの男は城ヶ島の唄をうたっていた。沈鐘の唄もうたった。なつかしい尾道の海はこんなに波が荒くなかった。二人でかぶったマントの中で、マッチをすりあわして、お互に見あった顔、あっけない別離だった。一直線に墜落した女よ! と云う最後のたよりを受取ってもう七年にもなる。あの男は、ピカソの画を論じ、槐多の詩を愛していた。私は頭を殴りつけている強い手の痛さを感じた。どっかで三味線の音がしている。私は呆然と坐り、いつまでも口笛を吹いていた。
(一月×日)
さあ! 素手でなにもかもやりなおしだ。市の職業紹介所の門を出ると、天満《てんま》行きの電車に乗った。紹介された先は毛布の問屋で、私は女学校卒業の女事務員です。どんより走る街並を眺めながら私は大阪も面白いと思った。誰も知らない土地で働く事もいいだろう。枯れた河岸の柳の木が、腰をもみながら大風にゆれている。
毛布問屋は案外大きい店だった。奥行の深い、間口の広いその店は、何だか貝殻のように暗くて、働いている七八人の店員達は病的に蒼《あお》い顔をして忙がしく立ち働いていた。随分長い廊下だった。何もかもピカピカと手入れの行きとどいた、大阪人らしいこのみのこぢんまりした座敷に、私は初めて老いた女主人と向きあって坐った。
「東京からどうしてこっちへお出やしたん?」
出鱈目《でたらめ》の原籍を東京にしてしまった私は、一寸《ちょっと》どう云っていいのかわからなかった。
「姉がいますから……」
こんな事を云ってしまった私は、又いつものめんどくさい気持ちになってしまい、断られたら断られたまでの事だと思った。女中が、美しい菓子皿とお茶を運んで来た。久しくお茶にも縁が無く、甘いものも口にしたことがない。世間にはこうしたなごやかな家もあるなり。
「一郎さん!」
女主人が静かに呼ぶと、隣
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