と笑うと、立ちあがって、壁越しに「パパ!」と呼んだ。
「ハガキが来ていてよ、白いハンカチを持ってって書いてあるわ、香水ぐらいつけて行くといいわよ……」
「あらひどい!」

 七号室ではお妾さんが三味線を鳴らしている。河のそばを子供達が、活動芝居をいましめてなんて、日曜学校の変なうたをうたって通った。仕事、二百六十枚出来る。松田さん、どんな病気で入院をしているのかしら、遠くから考えると、涙の出るようないいひとなのだけれども、会うとムッとする松田さんの温情主義、こいつが一番苦手なのだ。その内、何か持って見舞に行こうと思う。夜、龍之介の「戯作|三昧《ざんまい》」を読んだ。魔術、これはお伽噺《とぎばなし》のようにセンチメンタルなものだった。印度人と魔術、日本の竹藪《たけやぶ》と雨の夜か……。霧つよく、風が静かになる、ベニは何か唄っている。

(四月×日)
 ベニの帰らない日が続く。
「別に心配してくれるなって、坊やからハガキが来ましたが、もう四日ですからね。」
 ベニのパパは心配そうに目をしょぼしょぼさせていた。

 今日は陽気ないいお天気である。もう病院を出たかも知れないと思いながら、植物園裏の松田さんの病院へ行った。そこは外科医院だった。工場のかえり、トラックにふれたのだと云って、松田さんは肩と足を大きくほうたいをしていた。
「三週間位でなおるんだそうです。根が元気だから何でもないんです。」
 松田さんは、由井正雪《ゆいしょうせつ》みたいに髪を長くしていて、寒気がする程、みっともない姿だった。昔昔、毒草と云う映画を見たけれど、あれに出て来るせむし男にそっくりだと思った。ちょいとした感傷で、この人と一緒になってもいいと云うことを、よく考えた事だが厭だった。外の事でも真実は返せる筈だ、蜜柑《みかん》をむいてあげる。
 病院から帰って来ると、ベニが私の万年床に寝ころがっていた。帯も足袋もぬぎ散らかしている。ベニははかなげに天井を見ていた。疲れているようだ。彼女は急速度に変った女の姿をしている。
「パパには沈黙っててね。」
「御飯でもたべる?」
 ベニは自分の部屋には誰もいないのに、妙に帰るのをおっかながっていた。

 夕刊にはもう桜が咲いたと云うニュースが出ていた。尾道の千光寺の桜もいいだろうとふっと思う。あの桜の並木の中には、私の恋人が大きい林檎《りんご》を噛《か》んでいた
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