ん坊のために、この若いお母さんは背中の赤ん坊にどんな償《つぐな》いでもしなければならないだろうと、わたしは、異常な生涯を持つ、この小さい赤ん坊の為に、ふっと、その女のひとに怒ってみるような気持ちも心に走って来ました。だけど、壁の黒板には、涙は人生を救うと書いてあります。
 わたしは、一ヶ月ほどして出て行く、この淋しい親子が、もう社会でけっして不幸でないようにと祈る気持ちでした。
 昔の八百屋《やおや》お七《しち》の世界から、女性の放火と云うものは、何となく激しい熱情的なものを感じさせますが、女の罪名にも、強盗なんて云うのは聞いても怖い感じです。統計のなかにも、二十歳未満の少女に強盗と云うのが一人ありました。わたしは吃驚して、どんな風な少女なのでしょうと訊《き》いてみました。
「まだ、ほんの子供みたいな娘で、由井正雪《ゆいしょうせつ》の講談本を読んで、何となく人を驚かしてみたく、夜明けに村の家へ庖丁を持ってはいったのですよ」
 そんな風のことを教誨師の方が云っていましたけれど、わたしは、春のめざめの頃に感じる逞《たくま》しい空想力を、どんなにしても堪《た》え忍ぶことの出来なかった自分の少女の頃のことをふっとおもい出すのでした。
 これから女の人生が始まろうとする、色々な不思議さのなかに、来潮と云うものが、どんなにわたしたちを吃驚させたことでしょう。来潮の来るころの年齢は、たいてい十七、八歳の頃でしょうけれど、このころの女の理性と云うものは、ずいぶん重たい花粉をつけて、重たい花べんとをのせているものだったとおもいます。貞操と云うことを、おぼろげに考え始めて来ます。そうして、理由のない苦痛が、この年齢にはきびしいほどおとずれて来ます。わたしは、その強盗をした少女のことも、罪は罪としても、何だか、ほほ笑《え》ましいものを感じるのでした。女の犯罪として、案外一番すくないのは治安維持法違反と、文書偽造、兌換《だかん》券偽造とか云った罪名でした。殺人の二十三人と云うのはいったいどうしたことかとわたしは暗然となるのです。
 教誨師の方々の話をきいてみると、殺人をした女囚と云うのは、たいてい田舎のひとが多くて、しかも百姓の女のひとが多いのだと云うことでした。
 いままで気を合せてせっせと働いていた百姓の夫婦者が、すこしばかり生活が楽になってくると、良人《おっと》が他に女をつくり、家を
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