してしまいました。灰色の鉄門を這入《はい》ると、古い木造建ての建物があるのですけれど、正面の広い部屋には教誨師の方が沢山いられるようでした。─看守長の須田安太郎氏の御案内で、やがてわたしは二、三人の女の教誨師の方たちと、女囚の生活をみてまわったのですけれど、ここでもわたしは駅の前で眼をまぶしくした、あの太陽の白い反射をふっと獄窓《ごくそう》のなかに眺めることが出来たのです。お陽《ひ》さんが流れるように射しこんでいます。わたしは溢《あふ》れるような自然の愛情を感ぜずにはいられませんでした。
 囚房の建物の入口は厚い板戸になっていて、大きな南京錠《なんきんじょう》がかかっています。なかへ這入ると、広い廊下を真中にして、左右二列に太い格子のはまった小さい独房《どくぼう》の部屋々々があって、わたしは何だかそれらの部屋々々をカナリヤ巣をみているようだとおもいました。どの部屋にも割合よく陽があたっていて、廊下より一段高くなっている房のなかは、どの部屋も畳敷《たたみじ》きで、三畳ばかりの部屋の隅《すみ》の小さい戸棚には、土瓶《どびん》だの茶碗だの、書籍なんかが置いてありました。如何《いか》にも女囚の部屋らしく、何もかもきちんと整理してあります。もうみんな仕事に出ているのらしく、わたしはここの独房の部屋では、子供をおぶったひとと二人連れでのし[#「のし」に傍点]をつくっているおばあさんときりしかみませんでした。空《あ》いた部屋々々には、正信偈和讃《しょうしんげわさん》と云う小さい赤表紙の宗教書が置いてありました。広い廊下の四辻のところには、ラヂオが高い処に置いてあったし、小さい黒板には、涙は人生を救う、汗は貧を救うと云う文字が書いてあったりしました。
 涙は人生を救うと云う文字をわたしは暫《しばら》くながめていましたが、このなかにいる女性たちは、自分の罪の前に、毎日々々どんなに泣いてあけくれを迎えていることだろうと、潸々《さんさん》と涙をながしている女囚のひとたちの深い傷痕《きずあと》がおもいやられて来るのです。いったい、女性が罪を犯すなんて、どうした罪をここでは問われているのだろうと、わたしはこの女性たちの犯罪を不思議に考えるのでした。男のするような、詐欺《さぎ》師だの、強盗だの、大山師だの、わたしは女性の犯罪としてこれらのことをすこしも考えることが出来ないのですけれども、ここで
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