な風な食事でしたが、真面目に務めているひとたちには、時々お三時があると云うことです。不思議に、どのひとも元気そうに太っていて血色がよいのですけれど、どのような食事も実に愉《たの》しいのだそうです。赤い着物から順々に青とか縞《しま》とかによくなってゆくのだそうですが、縞の着物のひとなんか、まるで近所のおかみさんがちょっと手伝いに来たと云う感じでした。
ここには無期のひともいるのだそうですが、そのひとたちはどんな風な気持ちなのかとおもいます。たった一人で散歩する、金網を板囲いでしきられた遊歩所のようなところもこの建物を囲った石塀《いしべい》のそばにありましたが、狭い金網の中にも青々と雑草が繁っていて、倉庫のようなところに、背の低い真赤なけしの花が一輪|可憐《かれん》に咲いていました。誰も眺める人もないだろう、この石垣のところに、ひょろひょろと咲いている沁《し》みるような赤い花の色は、時々、わたしの花のおもいでのなかへ、鮮やかな色をしてよみがえって来ることでしょう。今朝は浅間《あさま》の噴火の灰がこんなに降りましたと云うことで、庭木にも雑草にも薄白く灰が降りかかっていましたが、そのぽくぽくした灰の色と、この建物は、何だか淋しい対照をみせていました。中庭の柵のなかには、赤ちゃんのおしめが沢山干してあります。さっき独房で、ひとりでのし[#「のし」に傍点]をつくっていた女のひとのかしらと、わたしはその派手な浴衣《ゆかた》のおしめの柄《がら》を一つ一つ眺めていました。
ここの女囚のひとたちのお風呂場をわたしはみせて貰いましたけれど、これは、石の広い土間の真中に、腰高な矩形《くけい》の浴槽があって、それに背中あわせに三人ずつ、這入るのだそうです。何だか、寺の風呂のようなところでした。ささやかな憩《いこ》いの場所なのですが、こことても時間にきめられて這入るので、世間の風呂好きの女のように勝手にふるまうわけにはゆかないでしょう。務めぶりのよいひとだったら、風呂へ這入れる率も多いのだそうです。わたしは、ここに働いているひとたちをみて、何だかこの償いが済んだら、もう再び罪を犯すようなひとはいないだろうとおもいました。どのひとの顔も将来を愉しみに働いている様子にみえます。ここでは十二時間の勤労だそうですが、勿論《もちろん》働いただけの賃金は、出所する時に貰えるわけです。
いまのところ、
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング