事がある。花は枯れてからも風情《ふぜい》のあるもので、曾宮一念《そみやいちねん》氏が、よく枯れた花を描かれるけれども、枯れた花の美しさは、仄々《ほのぼの》としていて旅愁がある。女の枯れたのも、こんなに風情があるといいなと思う。私は三十二歳になったけれども、同年輩の男の友人たちは、みずみずしくってまだ青年だ。武田麟太郎《たけだりんたろう》さん、堀辰雄《ほりたつお》さん、永井龍男《ながいたつお》さん、いずれも花菖蒲《はなあやめ》だ。だけど、女の青春はどうも短かすぎる。――いま、せまい私の机の上に、小さいコップが乗っている。マアガレットや、菜の花や、矢車草や、カアネイションが一本ずつ差してあるが、それに灯火《あかり》のあたっている風情は、花って本当に美しいものだと見とれてしまう。今度生れかわる時は花になって来たいものだ。花だったら三白草《どくだみ》だっていい。
花が好き、その他には、一ヶ月のうち二、三度は汽車へ乗っている。旅が好きで仕方がない。旅の遠さは平気で、歩くことがとても愉しい。この一月は志賀高原へスキーに行った。丸山ヒュッテに泊ったが、幸い紅一点で、雪の山上で私はまるで少女のように
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