うしてそう下品な女のくせが抜《ぬ》けないのだ。衿《えり》を背中までずっこかすのはどんな量見なんだ」と、そう云って打擲し、全く、毎日私の骨はガラガラと崩《くず》れて行きそうで打たれるためのデク[#「デク」に傍点]のような存在であった。
 私はその男と二年ほど連れ添《そ》っていたけれど、肋骨《ろっこつ》を蹴《け》られてから、思いきって遠い街に逃《に》げて行ってしまった。街に出て骨が鳴らなくなってからも、時々私は手紙の中に壱円札《いちえんさつ》をいれてやっては、「殴らなければ一度位は会いに帰ってもよい」と云う意味の事を、その別れた男に書き送ってやっていた。すると別れた男からは、「お前が淫売《いんばい》をしたい故、衿に固練《かたねり》の白粉《おしろい》もつけたい故、美味《うま》いものもたらふく食べたい故、俺から去って行ったのであろう、俺は今日《きょう》で三日も飢《う》えている。この手紙が着く頃《ころ》は四日目だ、考えてみろ」――
 この華《はな》やかな都会の片隅《かたすみ》に、四日も飯を食わぬ男がいる。働こうにも働かせてくれぬ社会にいつもペッペッと唾《つば》きを吐《は》き、罵《ののし》りわめいている男が……私はこのような手紙には何としても返事が書けず、「あなたひとりに身も世も捨てた」と云う小唄《こうた》をうたって、誤魔化《ごまか》して暮していた。
 間もなく、魚谷と云う男も結婚《けっこん》したのであろう、大変楽し気な姿で、細々とした女と歩いているのを私は見た事がある。ちょうど、そのおり、私は白いエプロンを掛《か》けていたので、呼び止めはしなかったけれど、私も早く女給のような仕事から足を洗わねばならぬと、地獄壺《じごくつぼ》の中へ、働いただけの金を落して行く事を楽しみとしていた。
 それから、――幾月《いくつき》も経《た》たないで、正月をその場末のカフェーで迎《むか》えると、また、私は三度目の花嫁《はなよめ》となっていまの与一と連れ添い、「私はあれほど、一人でいたい事を願っていながら、何と云う根気のない淋しがりやの女であろうか」と云う事をしみじみ考えさせられていた。

     三

「君は前の亭主《ていしゅ》にどんな風に叱られていたかね……」
 与一は骨の無い方の鰺《あじ》の干物《ひもの》を口から離《はな》してこういった。
「叱られた事なんぞありませんよ」
「無い事はないよ
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