ぶしい」に傍点]思いがいたしました。
「その風呂敷ひとつ僕が持つて上げましよう、お出しなさい」
「いゝえいゝんでございますよ」
 女のひとの美しい指には青い静脈が浮いて、谷村さんには、それが大変いたいたしく見え、谷村さんは無理に、女のひとからその風呂敷包みの一ツを取つて持ちました。谷村さんに取つて、それはなぜか心楽しい事でありました。

「あゝあれですか?」
 八幡様のダラダラ道を上ると、一番高いところに、清修館と云う、白ペンキの看板が出ていました。心長閑な谷村さんは、昨夜越して来たばかりのせいか、自分の泊つている下宿の名前さへも忘れていたのでありました。
「あれです」
 谷村さんは蜆汁の事を考えて、又、フッと憂欝になりました。
「ありがとうございましたわ、本当に……」
 女のひとの眼は空の色を写していたせいか、美しく、またなくなまめかしく谷村さんの心をかすめました。
 谷村さんは、下宿の下まで来ると、またきびすを返して、女のひとに別れました。

 3 もう、街にはあの谷村さんの好きな、夕暮の燈火がつきそめていました。谷村さんは、さらに声高く李白の詩をうたつて、下宿へ帰つて来ました。下
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