調べようと思つてね」
「まあ……」
「ところが君じやなかつたンだ。安心したまえ、油は同じだつたけどね」
「え、おしのさんと一緒に安油をつかつていますが、……私の髪の毛をお抜きになつたのは、そんな、そんな事だつたのですか?」
 太つちよの女は気の抜けた、野性そのまゝの表情で、谷村さんの顔をじつと見ています。

 6 それから、もう谷村さんの食事は大変カンタンになつてしまいました。あんなに、朝か夕方かにつけてくれた二ツの卵が、谷村さんのお膳に乗つて来なくなつたし、お膳運びが、スガメの女で、前よりも、汁の中に髪の毛が多いようにさえなつたのです。
 谷村さんは、その幾筋かの髪の毛を見ても、唯微笑して取り去るだけで、もうそんな事で神経を痛めるのは馬鹿らしいと思うようになつていました。

 人生意気に感じなば
 功名誰か復論ぜんや
 昔の詩人の云つた言葉でもつて、若さを台なしにしてしまつてはおしまいだと谷村さんは、メスを磨いたり顕微鏡を拭つたり、ノートを新しくして気持を替えようとはかりました。
 或日。
 平和な日の学校通いは、いゝ散歩でありましたし、谷村さんには大変愉しいのでありました。いつもの
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