ろくなりました。
「自分」も、そう大した男振りだとも思わないし、谷村さんは来年はもう卒業です。そうして山の村へ帰つて、お百姓相手のお医者様になるのですが、誰が「俺」のようなものに――そう思うと、急にはかない[#「はかない」に傍点]ものがこみ上げて来て、太つちよの下女のくれた沢山の卵を谷村さんは思い出しました。そうして、わけもなく感傷的になつて、その女中の掌を握つてやりました。
「おしげツ! おしげや、まあ、どこへ行つたんだろうね、のぼせ上つて……」
当てつけるようなお上さんの怒声が谷村さんの部屋まで聞えて来ます。すると間もなく、誰の悪戯か、谷村さんの部屋の釦が、けたゝましくリリ……と鳴り出しました。
「君はおしげつて云うのかい?」
「ハイ」
「いゝ名だね」
女は子供のように小さいシャックリを上げて泣いていました。肌が田舎の女らしくとても白々とさえ見えました。
谷村さんは、いじらしい彼女を、慰めてやろうと思つて髪の話を始めました。
「僕が越して来た時、朝の蜆汁の中へとても長い髪の毛がはいつていたンだよ。で、僕は、結局君だと思つて、あの朝、何気なく君の髪の毛を一本抜いたんだ。顕微鏡で
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