いんだから……」
「私が本当に悪いんです」
「馬鹿! 勝手にしろ」
 太つちよの女は、いつまでも歯を噛みしめて泣いていました。
 谷村さんは、自分の気の狂いそうな事よりも、まず此の女のロンロンと云つた風な泣声が癪でなりませんでした。
「オイ! お上さんを呼ぼうか、僕は迷惑だよ。只、僕は僕の気持が果したいから、一人であばれているんで、本当に君なんか邪魔なんだよツ、釦を押すよ」
 太つちよの下女は、谷村さんの手を押えると、まるで神様へひれ伏すかのように、身を伏せて声を噛みました。
「わたしは貴方が好きなのです。死ぬ程、思いつめて、私は皆から笑われながら、貴方を好いているのです」
 谷村さんは、愕いてしまいました。あんまり愕きが大きかつたせいか、狂暴な今までの気持がふいと静まつて、反対に、おかしくておかしくて笑い出したくなりました。
「許して下さい。私のような学問のない女でも、一生懸命勉めて、貴方について行きたいと思います」
 谷村さんは、竹行李の中にたまつた五六十個もある卵の事を思い、唐詩選の中の詩をふと頭に浮かべました。
 人生意気に感じなば
 功名誰か復論ぜんや
 谷村さんは非常に涙も
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