ように、コツコツ秋風の渡る街路樹の下を歩いていますと、
「谷村さんではありませんでしようか?」
「谷村?」
 谷村さんは、眼鏡をズリ上げて、振り返つて見ました。矍麦のようだつた、あの美しいひとが、薔薇のようにすんなりとなつて谷村さんの前に立つていました。
 心静かであるべき筈なのに、谷村さんの顔面筋肉はピクピクして、胸はコトコト鳴り出しました。
「もう三週間以上にもなりますわ」
「それで、私に何の用があるんですかツ」
「本当にお怒りはごもつともだと思つています。幸い姉が、秋の展覧会に入選いたしましてあのお金大助かりでございましたのよ」
 二人はいつか肩を並べて歩いていました。
「今日、お怒りになつていらつしやるだろうと、実はビクビクして参りましたら、もう貴方が、郊外の方へお越しになりましたつて話ですもの、住所も判らないとの事ですし、実は悲しくなつて歩いていましたら、ヒョッコリ貴方が、私の横を素通りなさるのですもの……」
 やつぱり、あの太つちよの女は豚であつたと谷村さんは、手を握つてやつた事を心のうちで後悔しました。美しい彼のひとは、谷村さんから金を借りると、すぐ姉の絵の具を買つてやつ
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