た。
「何で泣いていたんです?」
「うゝん何でもないのよ」
「だつて……何かあるンでしよう」
 そう云つて、谷村さんがじつとその女のひとの眼を見ていると、女のひとはぼやけた電気の下に、瞿麦の花のようにパッと立ち上つて、谷村さんの肩に頬を伏せました。
 谷村さんの胸はまるで暴風雨のように荒れて、美しい女のひとの円い肩をじつと抱き締めました。
「貴方、私を助けると思つて、五拾円程拝借させて下さいませんか、二三日うちにお返し出来るンですが、ねヱ」
 そこで、今日来たばかりの金を谷村さんは、そゝくさとひき出しから抜いて来ると、泣き濡れている美しい女のひとの手に握らせてやりました。
「まア! こんなに沢山、あたし、どんなにしても御恩返しいたしますわ――本当に貴方と私の間は運命的だつたのですわね」
 美しい女のひとは背伸びして、背の高い谷村さんの唇を待ちました。谷村さんは一生懸命[#「一生懸命」は底本では「一生県命」]な努力で、そつと優しく、女のひとの唇を封じましたが、女のひとはふつと唇をはずすと、いつまでも谷村さんの激しい胸の上に靠れていました。

「人の奥さんつて、本当かい」
「えゝあなた、男
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