が気ではなく、ぷいつと障子を開けると、玄関へまわつて、わざと大きい音を立てゝ二階へ上つて行きました。
 四号室は、丁度谷村さんの部屋の真上です。谷村さんは猫のように、一寸とりすまして、眼鏡をズリ上げました。
「先程は失礼しました」
 部屋の中には電気がついているようでしたが、大変静かです。
「先程は失礼いたしました」
 すると、隣りの五号室の障子が開いて、眉の太い男が顔を出しました。
「隣りの人達、いま出掛けられたようですよ」
「ア、そうですか」
 谷村さんは、大変自分のやつている事を浅薄だと思いました。部屋へ帰つて一生懸命勉強しようと思いました。谷村さんは、下へ降りる時は、まるで、鼡のようにチロチロと足音をしのばせましたが、別に誰も谷村さんが二階へ上つたのを見た人はありませんでしたし、降りたのも見た人はありませんようでした。
 部屋へはいると、膳はもう下げてありました。谷村さんは落ちついて机の前に坐ると、ふとまた髪の毛の事が気にかゝつて、そつと電気の下に顕微鏡を持ち出して、本の間にはさんでおいた太つちよの下女の髪の毛を小さく剪つて覗いて見るのです。
 鉱物性の油が沢山ついているのに変
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