眺めてゐた。昔と違つて、何處へでも勤めようと思へば何處でもつかつてくれる時代で、もんのやうに邦文タイプも出來れば、たどたどしいながらも英文タイプも打てるとなると、勤め口にはさほど困らなかつた。――もんはその日に麹町内幸町の大阪ビルにあるMパルプ工業會社の支店に勤めるやうになつた。昔は、自分のやうな年齡にあるものは傭主の方でみむきもしなかつたものだけれど、いまでは年齡のことなンか苦にしないで何處でも氣樂に働く事が出來た。そのかはり、人の流れも激しいせいなのか、どの社員も新參の人達ばかりで、事務机のまはりは波が動いてゐるやうにざはざはしてゐた。もんの机のまはりにも、九州言葉の娘もおれば、東北なまりの娘もゐた。インクの乾いた硝子瓶が机の中には三ツ四ツごろごろしてゐたし、ペン軸のこはれたのなンかが紙反古といつしよにひきだしの奧にはいつてゐたりする。去つてゆくものゝたしなみのなさが、まるで岩間を突きあたり突きあたり流れてゆく流木のやうにもんには佗しく思へた。こゝには、どんな娘が腰をかけてタイプを叩いてゐたのか、二三日も日がたつてしまへばもう四圍のひとたちはみんなそのおもざしや名前を忘れてしまふの
前へ 次へ
全33ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング