時々上海へ出ていらつしやい。躯は大切にして、たべものに氣をつけるンですよ」と誰がきいてもいゝやうな親切な言葉をかけてくれた。もんは電話をきつてから始めて蘇州へ行かなければならないやうな理由の少しもない自分の見得を感じた。つくづくこの氣持をいやだと思つた。と云つてどうしていゝのか自分で自分が判らない。蘇州へ來てからも、もんはわざと簡單なハガキを工藤へ出したきりだつた。軈て工藤からは長い手紙が來た。もん子さんを愛してゐることに少しも變りはない。尊敬さへしてゐます。だけど、あなたと自分はこんな風な運命にたちいたつてしまつて、いまとなつてはどうする事も出來ない。自分のいまの結婚の相手は丁度マノンレスコオのやうなもので、女房は惡い女で、どうにもかうにもならないけれど、まるで病氣にとりつかれてゐるみたいに、毎日風波がたえないくせに、自分は一介のくだらぬ男になりさがつて、逃げてゆく女房を追ひかけてゐる始末です。どうぞわらつて下さい。こんな思ひは上海と云ふ土地のさせるわざなのか。とにかく自分は、女房をすくつて、一度、内地へ戻つてみようと考へてゐます。あなたの親切は永久に忘れません。上海へ來られたあなた
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