、どこかのホテルのドアマンをしてゐたと云ふだけに大柄で好人物そうな男であつた。一ヶ月ぐらひして米倉はおめかしをしてもんをたづねて來た。もんの生れ故郷をきくでもなければ、何のためにこの蘇州まで來たのかときくでもなく、米倉は結婚話を持ち出した。もんは心のうちに、工藤以外にはもうすべての男に對して何の興味もない自分の年齡を知つてゐた。よその女のひとよりも早く女の終りが來たのかと、もんは淋しいと思ふ時があつたけれど、工藤に對する夢を何時までも捨てきれないでゐる自分がいとしくもあつたのだ。工藤を考へるときだけは心のなかは千變萬化の光を放つた。
 蘇州のどぶ川のなかへ沈んで死んでしまへば、そうして工藤へ何か一筆かきのこしておけば、あのひとは本當のあのひとのこゝろにかへつてむくろを引取りに來てくれるだらうと云ふやうな空想も湧いた。蘇州へ旅立つ日、遠い奧地へゆくやうな氣持で、もんは工藤へ電話をかけた。少しはあのひとのこゝろになごりおしさや悔ひを殘すことが出來たらそれで本望だと感傷のこもつた電話のかけかただつた。工藤は電話の向ふで、元氣のいゝ聲で、「ぢやア、僕も休みをとつて遊びに行かう。君も近いンだから
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