もつてゐたのに、中堀さんはまだ遠いのね‥‥」
鍋のなかの鷄や野菜が煮えはじめた。謙一は喬に少しづつ鍋の中のものをよそつてやりながら、喬を抱いた膝をびくびくと動かしてゐる。櫻内は五分刈りで精悍な躯つきであつたが、瞼がはれぼつたく、笑ふと大きな八重齒が出て子供らしい表情になつた。中堀はまるで市役所の官吏にでもなつた方がいゝやうな物靜かな恰好で、頭髮もきれいになでつけて、制服のカラーも清潔にしてゐた。色があさぐろく、大きな鼻がいかにも好人物を示してゐる。中堀は風邪をひいてゐるのか、時々咳をしてゐた。
「もう、來年は、みんな遠くへ行つちまふのね‥‥」
埼子が不器用な手つきでみんなにビールをつぎながら云つた。櫻内だけはビールよりは酒がいゝと云ふので、別莊管理の爺さんに頼んで地酒を買つて來て貰つておいたのだ。八時過ぎには木更津の驛に勤めてゐると云ふ謙一の友人の延岡もやつて來た。謙一とは木更津の中學時代の同窓生だとかで、延岡はがらがら聲で無遠慮にしやべる男だつた。平凡な驛員型の人物であつたが、話が率直で面白いのでみんな好意を持つた。延岡は羽織の下に地味な袴をはいてゐる。
「清水は、新京へ行くんだ
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