つて? 羨ましくて仕方がないなア‥‥僕ももう何處か遠い處へ行きたくなつた。清水のやうに大學卒業ででもあれば、どつか素晴らしい處へ、就職の方法もあるんだが、何しろ中學卒業ではどうにもならん」
 延岡は段々醉つて來ると、保線に勤めて、土方のやうなことをしてゐる俺だけれど、そのうち素晴らしい仕事を探すのだと云つて、一人で痩せたこぶしを膝の上で握りかためてゐた。自分だけがいまにも大きな出世をしてみせるぞと云つてゐるやうな、田舍者の無遠慮をまるだしにしてゐる延岡に、櫻内は段々不快なものを感じてきて、急に默りこんで酒をあふつてゐた。
「まア大學を出た處で、君たちはこれからが大變だぜ、いままでは學校の思想の枠の中で、メリーゴーラウンドしてゐればよかつたのだが、我々若いものは、我々若い者だけの思想をつかまなければいけないねえ。自力で思想をつかむことが大切だ‥‥」
「へえ。自力の思想を持つてゐると云ふのは君一人とでも云ふのかね? 君の思想とはどんなものだい?」
 櫻内は青くなつて、腫れぼつたい眼を細めて、じつと延岡を睨みつけた。その表情の中には、何かしら勃々とした怒りが走つてゐる。
 埼子の母は二階に學
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