、いつでも來て貰ひたい位だ。――僕は、のびのびした處で働きたいんだよ。だから氣持よくやつてくれるといゝな‥‥」
 埼子は默つてゐた。
 こんな立派なひとが遠い處へ行つてしまふ‥‥厭々、どうしても厭だ。埼子は默つたまゝ謙一を睨むやうに見上げてゐた。肩ががつしりしてゐて、大きなロイド眼鏡の奧の眼は、人なつこく、いつも空間をみつめてゐたし、顎の張つたところは、謙一の強い意思を現はしてゐて埼子はとても好きだつた。――このまゝ別れるにしても、額に接吻をされただけで別れるのは埼子には心殘りだつたし、もう、二人きりでゐると云ふのも今日かぎりだと思ふと、埼子は、さつきのやうに焦々して砂に轉げてみたくなるのであつた。――夕方の汽車で母たちがやつて來ることになつてゐる。朝の汽車で謙一と二人だけで先發してこの千葉の別莊へ來たのが、無意味のやうに思はれてくる。風呂場の裏では別莊管理の百姓爺さんが鷄を締めて焚火で毛燒きをしてゐた。
「もう、明日、お別れね?」
「うん‥‥」
「ごめんなさいね?」
「何も、あやまることはないぢやないの。僕だつて、埼ちやんには色々お世話になつたんだから‥‥感謝してゐますよ」

 六時
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