受取つて、ゆつくりゆつくり時計のネヂを卷いた。
「僕が新京へ行く氣持になつたのは、カツ子さんなんかのことぢやないンですよ。そりやア、僕はあのひとは好きだつたし、結婚出來れば結婚もしたかつたけれども、もうあのひとも結婚して行つちまつたし‥‥僕は、いつまでもカツ子さんのことを考へてゐる譯にもゆかないぢやありませんか? 遠い處へ職を求めたと云ふのは僕は本當は東京がきらひになつてゐるんですよ‥‥生れ故郷の東京を去るなんて云ふのは、埼ちやんには理窟がわからないだらうけれど、兎に角、僕は一度、東京を離れてみたいンだ。そして、新しい發展性のある土地で働いてみたいと思つただけ‥‥僕は東京は本當は厭なんだ!」
「ぢやア、私もきらひなのね?」
「うん、そりやア‥‥困つたなア、僕は埼子ちやんは好きだよ、とても好きなんだけれど、東京が厭になつた氣持の中には、埼ちやんなんか何の關係もないし、これは、埼ちやんにはうまく説明出來ないと思ふけど‥‥男がね、一生の仕事をきめると云ふ時には、そんな、女の問題や色々な人情とは、また違つたものがあると思ふンだけど‥‥新京つて、現在では少しも遠い處とは思はないし、埼ちやんなんか
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