投げつけた。さうして立ちあがると、壁へ凭れて、
「新京でも、何處でもいらつしやい。どうして、勝手に一人でそんな處をきめてしまつたのよ。――新京なんて、そんな遠い處へ何故行かなくちやならないの? 新京なんかへ行くために、謙兄さんは大學へ行つてたのツ?」
 埼子は一氣にまくしたててゐる。謙一は默つてゐた。小柄で顏の小さい埼子が、まるで謙一には女學生のやうに見えた。二十一の女とはどうしても思へない。
「莫迦だなア、埼ちやんだつて、新京へ遊びに來てくれればいゝぢやないか、何も一生逢へないつて云ふンぢやないでせう?」
「だつてどうしてそんな遠い處へ職業を選んだりするのよ。――お姉さんが遠くへ行つちまつたからでせう? 私なんかのことなんか謙兄さんが考へてゐるなんて思はないわ。私は、とてもそれが癪にさはつてるのよ。‥‥」
 急にけたゝましく、机の上の時計の鈴が鳴りはじめた。埼子は、腹立たしさうに時計をつかんだ。謙一は埼子の狂人じみた樣子に吃驚して、ぢつと埼子を眺めてゐる。埼子は窓を開けると、鈴の鳴つてゐる時計を庭へ投げつけた。開けた窓から寒い風が吹きこんで、遠雷のやうな海鳴の音がきこえてくる。
 謙
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