うな氣がして、くるりとふりかへつて濱の方を眺めた。延岡が青い顏をして垣根の外に立つてゐた。
「どうしたンだ?」
「昨夜、驛の前の宿屋に泊つたンだ‥‥帽子を忘れて取りに來たンだよ」
「まア、這入つて來いよ‥‥」
 謙一は眼鏡をずり上げてすぐ階下へ降りて行つた。埼子は、籐椅子から降りて窓邊にゆき、小さい聲で歌をうたつてみた。あの波も、あの空も一瞬のながれであり、すべては木ツ葉微塵だ。謙一の新しい出發に對して、狹い女の嫉妬が自分を苦しめてゐる。自分は謙一を奪ふことが出來ない。男の仕事と云ふものは、そんなに男にとつて魅力のあるものだらうかしら‥‥。自分は、これからも、この濱邊で暮さなければならないし、病氣に脅かされて、毎日、不機嫌に暮さなければならないのだ。
 人間の生活とはいつたい何だらう。‥‥人間が生活々々と呼んで生活へ進んでゐるその「生活」とはどんな生活なのだらう。
 埼子は皮膚をかきむしられるやうに耐へがたい氣持だつた。
 濱邊を點のやうになつて、櫻内や中堀たちが戻つて來てゐる。埼子は窓から白いタオルを振つた。櫻内も中堀も馳け足で戻つて來てゐた。(あゝ、あの人たちもこれから新しい生活へ
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