子姉さんみたいにもりもり大きくなるんだよ‥‥」
謙一は病氣と鬪ひながら、この淋しい海邊で暮してゐる若い埼子が可哀想でならなかつた。
謙一は埼子の家とは遠縁にあたつてゐて、早稻田にはいつた時から、ずつと埼子の家に下宿をしてゐた。謙一は埼子の姉のカツ子が好きで、大學を卒業して職につくことが出來たら、カツ子を妻に貰ひたいと考へてゐたのだ。
だけど、カツ子はいつの間にか平凡な見合ひをして地味な商家へとついで行つてしまつた。
掌中のものを盜まれたやうに、一時は氣拔けがして呆やりしてゐたけれど、謙一はすぐ立ちなほることも出來たし、また、以前のやうな規則正しい學生生活をとり戻すことも出來てゐた。
謙一とカツ子のあひだの、かすかな思慕の流れを、埼子はいつの間にか鋭敏に感じてゐて、ちやんと知つてゐた。その鋭敏さは、むしろ病的な位に「何か」をつけ加へて大きく考へてゐるらしい樣子でもある。
カツ子のやうにふとらなくてはいけないと云ふと、ふつと埼子が默つてしまつたのを、謙一はまた溜息をつきながら反省しなければならない。
「僕は、そのうち、もう一二度、千葉へ來ますよ、埼ちやんには、まだまだ、いろんな話をしたいと思つてゐるンだ。――カツ子さんのことに就いては埼ちやんが考へてゐるやうな重大なことは何もなかつたんだし、僕にはそんな烈しいことは何も出來ない。カツ子さんも埼ちやんが知つてゐるやうに、中々堅實な地味なひとなンだし、いまはむしろ、僕は埼ちやんをお嫁さんに貰へれば貰ひたい位に考へてゐるけれど、僕には職業を捨ててしまつて埼ちやんのそばにつききりでゐられる自由もないのだし、‥‥結局は、埼ちやんが躯をよくして、滿洲へ來てくれることだな‥‥男は、功利的な意味ではなく、職業の爲には折角の戀愛も捨てなければならない場合もあるンだ。わかるかなア‥‥僕は今どんな素晴らしい戀をしてゐても、どうしても新京へ行つてしまふだらうし、新しく仕事に出發してゆく氣持は、現在の僕にとつては何ものにも替へがたい‥‥」
埼子は默つてゐた。明るい陽が疊いつぱいに射して、謙一の影が肥えた傴僂のやうに疊にくつきりと寫つてゐる。
「だから、もういゝのつて云つたでせう? 私は新京なんかに行けやしないわ‥‥私だつて、私の生活があるンだし、もう、このまゝお別れでいゝと思ふの。私は病氣なのだもの‥‥」
謙一は誰かに呼ばれたや
前へ
次へ
全13ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング