。ひな子がくちずさんでゐる三味線の唄は、きようにすぐおぼえてしまふのに看護婦達のうたふ歌は仲々おぼえられませんでした。それだけに、看護婦達がえらいものに思へるのでありました。
此病院にも、由は出前で度々行くのでしたが、ここの女達は、何もかも兵隊みたいで、註文するうどんも五銭の並うどんにきまつてゐました。五段にしきつてある出前の箱にぎつしり並べて、石の段々を上る時は、小さい由には一寸こたへる事でありましたが、そこへ行くとおりくさんのやうな家の註文は二ツか三ツで、それもかやくのはひつた高価なものばかりなので運ぶのには此方が大変楽でした。
看護婦達の寄宿舎へ行くと、夜なぞは、窓で讃美歌をうたつた女達が、白い上着をぬいで、思ひもかけず、ひな子でも歌ふやうな卑俗な唄をうたつてゐる時があるのです。「ヘエ、うどんを持つて来たん」さう云つて、由が出前の蓋を開けるが早いか、一人々々由をめがけて走つて来ます。
由は納戸部屋へ入つて横になると、きまつて、尾道へ帰りたいと母親へ手紙を書きました。由はまだ奉公の出来る一人前の女のやうに、何も彼も判つてゐないので、大きな陸から離れてしまつた島の生活が、年齢なりに淋しくなつたのでせう。時々昼間もこの呆んやりしたつまらなさうな顔を崩さないでゐると、ひな子は学校の帰りに、由の店へ寄つて、うどんを食べながら、「およツしやんは陸の漁師みたに呆んやりしとるんのウ」とからかふのでありました。
ひな子は、何時でも二三十銭の金を桃色のメリンスの巾着へいれて持つてゐました。おほかた姉芸者や、お客さんに貰ふのでせうが、由にはそれがひどく派手なものに思へました。さうして、その二三十銭の金を巾着から出したり入れたりするほんの子供のやうなひな子が、偶々知つた男でも入つて来ると、すぐ取つておきの「好かんがのウ、何しに入つて来たん?」と眼を染めるやうにして云ふのです。
「好かんでもええよ、俺はおかめがいつち好きぢやもんのウ」
たいていの男がまた、ひな子の染めたやうな艶やかな眼を見て此様な事を云ひます。
此島には造船所があつたので、都会から流れて来る色々な意気な男達が、ひな子の眼や心を肥やして行くのでせう。ひな子はおりくさんの家にゐても、町を歩いてゐても、どこにゐても此島の色合にぴつたりとしてゐて、まるで花瓶に花を差したやうな工合のものでした。
人に話しかけるその
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