唇は春風のやうに自然に媚びがにじみ出て来て、中高な顔がもう十七八に見せる時がありました。
 朝になると、由が腰かけてゐるところで、「ああしんどウ」とひとやすみして、今日の学課について話して行くのですが、由には、此時だけが友達のやうに思へて、割合よくひな子に話しかけるのでありました。
「今日は理科は何のウ?」
「あざみヨ習ふんぢやが、もう、わしは絵が下手ぢやけえ、先生に描いてもらうたん、なう見なしやい」
 その絵は、ひな子よりはましでしたが、これでは何時かマフラを首に巻いてゐた先生のやうなあざみの花にしか見えません。
「あざみも沢山あるんぢやけど、わしや判らん、なう、云うて上げようか、ほい、たかあざみ、のはらあざみ、きつねあざみ、のあざみ、くるまあざみ、やまあざみ、おにあざみ、なんぼうあつたかの?」
「なんぼうかおぼえなんだ」
「わしもよう忘れるんぢや、やれしんどいのウ」
 ひな子は八ツ口から出したむき出しの腕に学校道具をかかへて、由よりも呆んやりした顔つきで学校へ出かけて行くのです。[#底本は次行の空きなし]

 5 ひどく淋しい三週間でしたが、由は、持つ来た襯衣箱を風呂敷に包んで、「まだ子供でなアすぐ淋しがつて、使ひにくうござんしたらうな」と迎ひに来た由の母親と一緒に、由は船着場へ降りて行きました。
「淋しかつたんぢやろウ、由、何か食べさせようかの‥‥」
 由は露店の前にしやがんで、母親とアンパンを食べました。
 店先の蜜柑もあたたかい色になつて、晩秋の風が、雲といつしよにひえびえと空高く吹いてゐます。船着場では、色眼鏡をかけたおりくさんが、噴水につかふ台石を沢山の土方に運ばしてゐましたが、由には、おりくさんの姿よりも偶とひな子の姿の方が心に浮んで来て、会はずに船に乗るのが心残りでもありましたが、花火のやうな赤いひがん花を子供達が沢山手に持つて遊んでゐるのを見ると、由は牛のやうにのんびりと母親に凭れてあくびをするのでありました。



底本:「林芙美子全集 第十五巻」文泉堂出版
   1977(昭和52)年4月20日発行
※片仮名の拗音、促音を小書きするか否かは、底本通りとしました。
※疑問点の修正に当たっては、「悪闘」中央公論社、1940(昭和15)年4月17日発行を参照しました。
入力:林 幸雄
校正:花田泰治郎
2005年8月20日作成
青空文庫作成ファイル
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