て逢つた時もいいひとだとは思つたけれども、結婚をしてみると、信一は思ひやりの深いよいひとであつた。
絹子は、朝、眼が覚めるとすぐ大きい声で歌をうたふ信一がをかしくて仕方がなかつた。
信一はきまつて子供の歌ふやうな歌を毎朝うたつた。
三
今日も昼の御飯が済むと、灯台の横から二人はコンクリートの段々を降りて汀の方へ歩いて行つた。寒い日ではあつたけれどもあまり風もなく四囲は森閑としてゐる。海老を取りに行く船が、沖へ網を張りに行つてゐた。
起伏のゆるい砂の上には白い網が干してある。信一と絹子は網をしまふ藁小屋の壁へ凭れて砂の上へ坐つた。四囲が静かなので濤の音が肚の底にひびくやうだつた。鉛色の海を吹いて来る空気には薬臭いやうな汐の匂ひがしてゐた。
「うんと、この空気を吸つて帰りませうね」
絹子が子供らしい事を云つた。信一は濤の音でもきいてゐるのか暫く黙つてゐたが、ふつと思ひ出したやうに、眉を動かして絹子の方へ向いた。
「煙草をつけてあげませうか?」
絹子がハンカチの包みの中から煙草とマツチを出して、煙草を信一の膝へ置いた。
「ねえ、僕は一度、君にたづねてみようと思つたけ
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