云つた。
「僕はね、家が貧しかつたから、中学を出たら一郡に秀でた金持になりたいと云ふのが理想だつたンだよ。――だけど、とうとう学資もつづかず中学を中途でやめてしまつて名古屋の陶器会社へ陶工にはいつてしまつた。そして、今度の戦争に征き片眼を失つて戻つて来た‥‥運命だとは思ふが、まア、命びろひをしたのも不思議な運命だし、君と一緒になつたのもこれも不思議な運命だね‥‥」
 信一は遠い昔をおもひ出したやうに炬燵に顔を伏せてゐた。濤の音がごうごうと響いてきこえた。
 信一の実家では子沢山で家が狭いので、近所の灯台のそばの茶店の一室を借りておいてくれたので、信一達はここで気兼のない日を過した。
 夜になると灯台の灯が遠くの海面を黄金色に染めてゐる。ぎらぎらするやうな白い光芒が暗い空の上で芒の穂のやうにゆらめく時がある。雨の晩の灯台の灯も綺麗だつた。

 絹子は村の高等小学を出ると、すぐ名古屋へ出て、親類の吉尾の世話で綿布問屋の二宮家へ女中奉公に住みこんでゐたのであつた。
 お嬢さまづきだつたので、絹子は何の苦労もなしに二十一まで暮してきたのだけれども、お嬢さんが、今年の春東京へ縁づいて行つてしまふ
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