がしないでもないのである。
「赤ちやんはいくつなの?」
「もう四ツだ。歌をうたふよ」
「逢ひたいでせう?」
「うん‥‥」
「奥さまはこつちなンでせう?」
「さア、何処にゐるンだか知らないねえ‥‥そんなものはどうでもいいさ‥‥」
「だつて‥‥」
「君は、僕と結婚した事を後悔してるンぢやないだらうね‥‥」
「‥‥」
絹子はそつとハンカチをといて、また煙草とマツチを出した。「光」の箱からチヨークのやうな煙草を一本出して信一の唇に咥へさしてやると、信一は急に熱い手で絹子の指をつかんで、人差指だの、中指、薬指、小指と順々に絹子の爪を自分の歯で噛んでいつた。
絹子は溢れるやうな涙で、咽喉がぐうつと押されさうだつた。
六
二人が御前崎から名古屋へ帰つて来たのは一週間ぶりである。
暮れ近い街の姿は戦時といへども流石に忙しさうな気配をみせてゐた。
二人の新居は四軒長屋の一番はじの家で、まだ建つたばかりなので木の香が四囲にただようてゐた。芯の柔らかい畳だつたけれども、それでも畳がぎゆうぎゆうと鳴つた。
二人はまるで長い間連れ添つた夫婦のやうに、何も彼も打ちとけあつてゐる。
信一
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