戦争から戻つて来ても、子供は丈夫にそだつてゐた。信一が逢ひに行つても、子供は信一の黒い眼鏡を恐がつて仲々なついては来ないのである。――里子の家でも、信一の子供を自分の子供のやうに可愛がつてゐてくれたせゐか、子供をかへしてくれと云はれるのが辛いと云つてお神さんが泣いて信一にうつたへるのであつた。
信一は絹子と結婚してからも子供の事が忘れられなかつた。忘れようと思へば思ふほど、子供とたつた二人で辛い生活をしたかつての日の事を思ひ出すのである。去つた妻の事は少しも思ひ出さないのに、別れた子供の事だけは、夢のなかでも涙をこぼすくらゐに恋しくてならなかつた。
人蔘を買つて来て、夜おそくそれをうでながら、子供と二人で遊んだ。子供は少しも泣かない丈夫さで、畳に放つておいてももぐもぐと唇をうごかして一人で寝転んだまま遊んでゐてくれた。
うでた人蔘をすり鉢ですつて、牛乳でどろどろにのばして、その瓶を赤ん坊のそばへ持つて行つてやると、赤ん坊は可愛い足をばたばたさせてよろこんだものだ。
信一は、きやつきやつと一人で笑つてゐる赤ん坊のそばで少しばかり酒をのむのが無上の愉しみであつた。うでのこりの人蔘に
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