與田先生は時々英語まじりにワーズワースを論じ、萬葉を論じ、せつかちに言葉の聯想がぱつぱつと火華のやうに散つてゆくとともに、卓上には先生のつばきも相當飛んでいつた。
 安並もそんなものには趣味のある樣子で、時々與田先生の話に相槌を打つてゐる。登美子は寫眞よりもいいひとだと思つた。寫眞を見ないで、最初に人間同志逢つてゐたら、案外、安並と芽出度く結婚をしたかも知れないと思つた。運命の神樣は面白いめぐりあひをおつくりになるものだと、登美子はふつとのこりをしい氣持で安並の皿の上にあるかまぼこを何氣なく箸でつまんだ。一瞬の出來ごとだつたので、登美子は箸でかまぼこをつまみあげたままうろうろした氣持だつたけれど、人の皿のものを取つて、自分の皿の上に置くのもどうかと太々しく思ひきつて、板燒きの厚く切つたかまぼこを登美子は自分の唇へもつて行つて一口に頬ばつた。速い出來事だつたので、與田先生の李白だの、張繼の楓橋夜泊の詩論をけいちやうしてゐた連中は、誰も登美子のこの無作法を見てゐるものはない。ただ、安並だけは、自分の皿からつまみあげられた一片のかまぼこのゆくへをよく見てゐただけに、心はおだやかではなく、知ら
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