歩くのは非常に愉しみであつた。昔は玉羅紗とかアルパカだの、カシミヤだのの、いゝウール地が澤山あつたものだが、この頃は手に取つてみると、ぞつとするやうな寒い手ざはりのウール地ばかりであつた。つゆは洋服を着た男の人形の立つてゐる臺の處へ腰を掛けてしばらく休んでゐた。うつらうつら眠たくなるやうな疲れがきて躯がぐつたりしてゐる。たいへんな人ごみですねえ‥‥誰かがさう云つて、つゆのそばへ來て腰をかけた。つゆはふつと眼をあけてみると、自分と同じぐらゐの汚ないお婆さんが、ねんねこで赤ん坊を背負つて自分のそばへ腰を掛けてゐた。「師走だから、買物で大變ですね」つゆは話相手が出來たので、急に元氣になり、前を通つてゆく人間の品定めなんかをして、二人でぼそぼそしやべつてゐた。おばあさんは、つゆに炙のうまいひとがゐるけれど、炙をすゑてみる氣はないかと尋ねた。つゆは炙をすゑるのは好きであつたので、そのおばあさんの案内で吉原の近くだと云ふ炙をすゑる家へ行つてみた。つゆは、七十五歳で、ほんとうは老人の一人歩きは警察でも注意されてゐるので、外に遊びに出たくても中々甲斐子が出してくれないのであつたけれど、つゆはこのごろ娘
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