もじ屋へ寄つてかもじを受取つたけれど、金が足りなかつたので甲斐子の名刺を置いて送つてもらふつもりでゐたが、いつの間にか甲斐子の澤山の名刺をおとしてしまつてゐるのであつた。ミルクホールでおとしたかも知れないとつゆは殘念におもつた。つゆは自分のゐる處を、何區と云ふ事もおぼえてゐなかつたし、まして番地も知らないのである。たゞしもれんじやく[#「しもれんじやく」に傍点]まちと云ふところだけを覺えてゐるきりだつた。かもじを送つて貰ふことも出來ずに、つゆは地下鐵に行つたけれど、もう、疲れてもうろうとしてしまつてゐる。つゆは、神田の方へ上つて行つたり、澁谷の方へ行つたりして、方々を迷ひながら、十二時頃、這ふやうにして、吉祥寺の奧の下連雀の家へ歸つて來た。つゆは、もう、ものを云ふのも厭であつた。甲斐子は二階から降りて來るとつゆをがみがみ叱り始めた。「心配をするぢやありませんかツ! いまごろまで何處を歩いてゐたンです、いゝ年をして‥‥」つゆは怒つてゐる娘を呆んやり眺めてゐたが、子供のやうに泣きながら、廊下へ坐つて小用をもらしてゐた。
鷺の歌
夜霧の深い晩であつた。
音樂會がはてて暗い神
前へ
次へ
全16ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング