釦穴にしがみついていて離れないので、不意にしゃがみ込んで啓吉の前に、白く光った背中を持って来た。若い叔母の何でもないしぐさに啓吉も何でもない気持ちで躯を起したけれども、妙に脣のあたりが歪んで指先きが震えた。大人のような表情にもなり得る。菅子には、子供のそんな表情なんか見えない。兎に角「好きなひと」にこだわ[#「こだわ」に傍点]ってしまって、事務所の男の連中を考えても見たが、どの男達も、「ねえ」と向うから手を差し出して来れば、恥じらった格好だけはしてみせる位、どの顔もそう嫌いではない。躯は受粉を待っている九分咲きの花のようなもので、菅子は、啓吉の冷たい指が背中にひやひやする度、気の遠くなるようなもの思いに心が走って行った。
 戸外の風が段々風脚が強くなった。

       十六

 不図《ふと》、啓吉が目を覚ますと、叔母はまだよく眠っていた。脣の隙間から、白い前歯が覗いている。啓吉は、朝の部屋のなかをひとわたりぐるりと見渡して、また叔母の背中へくっついて眠って見たが、急に母親の匂いが浮んで来た。菅子のむき出した肩のあたりに顎を凭《もた》せかけると、母親に逢いたくなって、粒々な涙が、みひ
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