、手の甲で目をこすり始めた。
「莫迦野郎! 泣く奴があるか。啓坊はよく出来るンじゃないか。ええ? 元気を出して、一つ、うんと勉強して、皆を吃驚《びっくり》させてやれよ……」
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波と風とにさそわれて
今日も原稿書いている……
[#ここで字下げ終わり]
啓吉が、ひどく悄気《しょげ》ているのを見て、勇気づけてやろうと思ったのか、勘三が鼻唄まじりにうたい出したのだが、啓吉は、涙よりもひどいしゃっくりが出て困った。
「そンなに淋しがるな、ええ? 叔父さんだって、なんじゃ、もんじゃだ。判るかい? 面白いだろう。淋し淋しっていうンだ。しっかりしろ!」
しっかりしろといわれても、中々しゃっくりは止まらなかった。
「変なしゃっくりだなア、ぐっと息を呑み込んで御覧よ。ぐっと大きく……」
コロッケ屋と花屋の前へ来てもしゃっくりが止まらなかった。勘三の家では伸一郎が万歳をして迎えてくれた。
「まア、啓吉、また来たのかい?」
前掛で濡れ手を拭きながら出て来た寛子は、目立って鮮かな頬紅をつけていた。
「姉さんはとうとう都おちだぜ」
「都おち?」
「落ちゆく先きは九州|相良《さがら》とか何とかいわなかったかね。――とうとう、水商売が身につかずさ、九州へ行っていったい何をするのかねえ……」
二十六
「だけど、それは本当でしょうか?」
「本当にも何にも、ほら、これを見て御覧よ。ええ? 拾円札封入してあります。よろしくお願いしますさ。姉さんにすれば、啓坊だって可愛いさ、腹を痛めて産んだ子供だものねえ……」
「可愛いければ何も……」
「連れて行けばいいっていうんだろう。だけど、姉さんにすれば身は一つさ、子供だって可愛いが、連れ添ってみれば御亭主も可愛いとなったら、君はどうする?」
「いくら新しい良人がいいったって、子供は離しませんよ」
「それは、まともな事だよ。だけど、良人がその子供を嫌がったら困るじゃないか」
「そんな無理をいう良人は持ちませんよ」
「そうか、そうすると、さしずめ、俺は無理をいわぬ、いい御亭主だな」
「何ですか、少しばかり懸賞金貰ったと思って厭に鼻息が荒くて……」
「まだ三百円貰えなかったことにこだわっているのだろう? 新しい雑誌社だもの、五拾円でも貰えれば、もって幸福とせにゃならん」
「ああ厭だ厭だ……」
寛子は、啓吉の方へ見向きもしないで、台所の方へ降りて行った。
啓吉は所在がないので、梯子段の上り口に腰を降ろして爪を噛んでいたが相変らずしゃっくりは止まらない。
勘三は、勘三でまた腹這いになって、
「俺だって、こんな生活は厭々なンだ」
と大きい声で呶鳴った。
「そうでしょう……貴方が厭だってことは、この二三日、私によく判っていますよッ」
「大きな口を利くなッ」
「そんな事をおっしゃるけれども、ちゃんと判るンですから……貴方の気持ちなんて……」
「うん、それで、頬紅なンぞつけてきげんとっているんだな?」
「あら厭だ、若い女に言うような冗談はいわないで下さい!」
「冗談か、ま、女って奴は、都合のいいようにばっかり理屈をくっつけたがる、奇妙なもンだ。――啓吉! 出てお出でッ」
啓吉は、さっとして立ちあがった。
寛子は、頬をふるわせて坐り込んでいたが、啓吉が、障子の陰から呆んやり出て来ると「何ですかッ、啓吉啓吉といってさ」と、跫音《あしおと》荒く、二階へとんとん上って行った。
叔父のそばへつっ立っていると不思議にしゃっくりが止まった。
「叔母さんはよく怒るねえ」
「僕が来たからだろう?」
勘三は愕いたような目をして、啓吉を見上げたが、
「心配するな、叔父さんが後にひかえている。――子供のくせに、ええ? 心細がる奴があるかッ」
「…………」
「ああ、叔父さんだって、まごまごしちゃいられないんだ。啓坊も叔父さんもうんと勉強してさ、ねえ、――そこの煙草を取ってくれよ」
啓吉は銀紙のはみ出たバットを部屋の隅から取って来てやった。
「九州って遠いの?」
「九州か、そりゃッ遠いさ……行きたいか?」
「…………」
「母さんが一番いいんだろう……」
「だって、あのおじさんのいない時には、母さん、うんと僕たち、可愛いがるよ」
「いまに、礼子ちゃんと帰って来るさ、待てるだろう?」
啓吉は心の中で、「どこで待てばいいか」と訊きたかった。
二十七
啓吉は伸一郎を守りしながら、誰にも愛されないで、叔父の散らかしている本ばかりを読んで暮らした。
アンデルセンの絵なき絵本という本は、そっと自分のランドセールに隠してしまった位すきであった。
絵なき絵本を読むと、飛んでもない連想が湧いて、遠い長崎に行った母親を尋ねて行きたくなった。――長崎へ行くには、不思議な色々な道があるのに違いないと思
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