札口で切符を返して小走りに追ってみたが、ランドセールが、がらがら音がするので、きまりが悪くなって立ち止まったりした。
 だが、大きな甘栗屋の曲り角まで来ると、連れの女の方がひたと歩みを止めてしまった。勘三は、暗い顔をして時々地面を見たり遠くを眺めたりしている。
 呼び止めていいのか、悪いのか、啓吉はおずおずしたが、勘三と道連れになって叔母の家へ行けば、何となく這入りいいような気がした。
「叔父さアん!」
 それでも、啓吉の声が小さいのかまだ聞えないようだ。やがて、勘三と連れの女は、横町へ曲ってレコードの鳴っている喫茶店へ這入って行った。扉の中から奇麗な音色が流れて来た。
 啓吉は待っていてやろうと思った。で、叔父達の出て来る間、ラジオ店の前へ、呆んやり立って見た。電気の笠や電気アイロンや、電気時計の飾ってある陳列窓の中は啓吉にとって愉しいものばかりで、見ているはしから色々の空想が湧いた。
 店の前には小さいラジオが据えてあって、経済ニュースのようなものを放送していた。店の中には誰もいない容子だった。啓吉は、そっと、ラジオを手で擦《さす》って見た。どこに音が貯えてあるのか不思議だったし、まるで噴き井戸から無限に溢れる音のように、ラジオはよくお喋《しゃべ》りしている。
 黒いスイッチが三[#「三」は底本では「二」]ツついていた。一ツを捻ってみた。声が柔かくなった。真中のスイッチを捻ってみた。80だの90だのと数字が変って行く度に、声に波がついた。啓吉は面白くてたまらなかった。最後に残ったスイッチを捻ると声がはたと止んだ。啓吉は周章てて、そのスイッチを返し一番初めに捻ったスイッチを巻いて見たが、自分で愕《おどろ》く程な、大きな濁音だらけで、啓吉には手のほどこしようもない。狼狽の面持ちで、三つのスイッチを、あっちこっち捻ってみたが、音は出鱈目《でたらめ》で、店の中から、吃驚したような声をたてて、
「馬鹿野郎!」と、頭の禿げた電気屋が飛び出して来た。
 啓吉は横町へ隠れたが、電気屋はまだ追っかけて来た。啓吉は、たまらなくなって、叔父達のいる喫茶店の中へ飛び込んで行った。
 勘三は頬杖をついていたが、啓吉がランドセールを背負った格好で飛び込んで来たので、驚いて立ちあがった。
「どうしたンだ? 叔母さんと来たのかい?」
「いいや……」
「どうしたンだ?」
「ラジオ屋で悪戯《いたずら》して叱られたンだよ」
「――どうしてこンなとこへ来たンだ?」
「駅んとこで、めっけたから、呼んだンだけど判らなかったンだよ……待ってたの……」
「そいで、ラジオ屋冷やかしてたンだな」
 勘三は、「ああ吃驚した」といった顔つきで、腰を降ろしたが、
「沢崎さん、さっきの話、不快に思わないで下さい」
 といった。沢崎といわれた女は、ニッコリして、
「まア、この方が、あのハンドバッグを拾って下さいましたの? よくお出来になるらしいのね」
 と、自分の前にあった菓子を包んで、啓吉の汚れた手にそっと持たせてくれた。

       二十五

 沢崎という女のひとと別れて、勘三と二人で歩き出すと勘三は、
「あああ」
 と溜息をついて、
「啓吉、いまの女のひと好きか?」
 と、尋ねた。
「…………」
「どうだ、感じのいいひとだろう、ええ?」
「うん」
「叔母さんに、女のひとと歩いていたなンて、そんな事をいっちゃ駄目だよ」
「ああ」
 啓吉は、菓子をくれた女のひとが、ハンドバッグをおとしたひとだったのだなと思った。非常に気取っているようなひとだと思った。勘三はまるで、浮腰のようなふわふわした歩き方をしていたが、不図、
「叔母さんへお使いで来たのかい?」
 と尋ねた。お使いと尋ねられると、啓吉は九州へ行くといって学校へやって来た母親を想い出して、胸が痛くなった。白い手紙と五拾銭玉一ツ貰ったが、その白い手紙や五拾銭玉を貰ったために、母親とは一生逢えないような気がするのであった。
「ねえ、母さんは九州へ行くっていったンだぜ。学校から早く帰ってみたンだけど、家内じゅう留守なのだもの……」
「へえ、九州へ行くって? 何時?」
「もう、行っちゃったンだよ」
 啓吉は背中のランドセールを降ろして、母からの白い手紙を出して、叔父へ渡した。
「……そうか、ま、いいや」
 勘三は封を開いて、中から手紙を抜き出したが、その手紙の中には拾円札が一枚折り込んであった。
「啓吉、お母さんは本当に九州へ行ったらしいよ……」
「……九州って遠いの?」
「ああとても遠いよ。長崎ってところだ。知ってるかい?」
「ああ港のあるところだろう?」
「そうだ」
 啓吉は、地図の上でさえも遠い長崎という土地を心に描いて、はるばるとしたものを感じた。
「新しい父ちゃんと、礼子ちゃんと……」
 勘三が何気なく言いかけると、啓吉は
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