ったけど、ねえ、本当に困るンなら、私が明日連れてって、姉さんの容子、どんな風か見てこようか?」
「拝むわ、そうしてよ、何だか虫が……」
 好かないと言おうとしたが、啓吉が、痩せた影をしょんぼり壁に張りつけさせて、叔母達の話を聞いているので流石《さすが》に寛子も言葉を濁した。

「啓坊が一番苦労するね」
 菅子が、そういって立ちあがった。朽葉色の靴下が細っそりしていて、啓吉の目に美しく写った。
「じゃ、そろそろ帰ろう……啓坊連れてきましょうか?」
「頼むわ」
 寛子は、襯衣のない啓吉が風邪《かぜ》を引くといけないといって、勘三の縮んだ夏襯衣を、啓吉の下着に着せてやった。
「さア、子供のうちは、何でもいいッと、じゃ、二三日してまた来ます。義兄さんによろしく。大金が這入ったら、それこそ安香水でも買ってね」
 小麦色の合いの外套を引っかけた菅子の後から、啓吉は、眠た気な目をして、
「さよなら」
 といって戸外へ出た。路地には風が出ていた。

       十五

 風が出ていて、啓吉は、歩くのがおっくうであったが、菅子の後から眠むそうにひょこひょこ歩いた。
 渋谷から六つ目だかの高田の馬場で降りると、菅子のアパートは線路の見える河岸に建っていた。アパートといっても、板造りの二階建で、もうかなり歴史のある構えだ。
「啓ちゃんは、一等誰が好き?」
「…………」
「よう、誰? いって御覧よ」
 菅子は赤いスリッパにはきかえて、埃のざらついた梯子段を上りながら、下から上って来る啓吉に尋ねた。
「ええ?」
「母アさん……」
「へえ……そうかねえ」
 菅子はくりくりした顎の先を部屋の鍵で軽く叩きながら、母と子の愛情は、どんなに粗暴であっても、固くつながっているものだと、少しばかり感心しながら、
「啓ちゃんのお母さんは、礼子ちゃんばかり可愛がるじゃないの?」
 と言った。
「…………」
 啓吉は、応える言葉がないのか黙っていたが、思い出したように、小さい口笛を吹き始めた。
 四人の姉妹のうち、菅子だけは学問が好きで、田舎の女学校も出ていたし、長い間、貞子の家も手伝っていて、姉の結婚生活には軽い失望も感じる程、しっかり者だった。
 貞子の家庭や、寛子の家庭の容子を見ても、自分が早々と結婚するには当らないような気持ちを持っていたし、よし、結婚したところで、満足な答えは出て来そうもない、不思議
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