伸一郎が手摺に足をふんばったので、大きな音をたててどすんと、二人とも尻餅をついた。
「何、おいたしてるのッ! どすんどすん暴れて、埃がおちて来るじゃないのウ」
啓吉は首を縮めた。伸一郎はわざと、足を畳に投げつけた。啓吉は吃驚して、伸一郎の上へ馬乗りになったが、暗い闇のなかで、伸一郎の顔の上へ、自分の顔を持って行くと、乳くさい息が、微風のように啓吉の咽喉へ吹いて来た。啓吉は遠いものを探しあてたように、伸一郎の唇の上へ、自分の額を押しつけた。
「ぐりぐり坊主、ぐりぐり坊主……」
と、小さい声でささやきながら、啓吉は、伸一郎の腋の下を擽《くす》ぐった。擽ぐりながら、二人はころころ転げまわった。啓吉は冷たい畳の上を伸一郎と転がりながら、あくびまじりに涙が溢れた。
「おい! おいた[#「おいた」に傍点]してると、きかないよッ」
二階の梯子段の上から、寛子の顔が生首のように覗いた。階下では、菅子の優しい声で、
「子供だもの放っときなさいよ」
と、姉をたしなめている、ぽつんとした声がきこえる。
「真暗だね? 眠いンなら、二人とも降りていらっしゃい。その辺をばらばらにしていると叔父さんに叱られるよ」
啓吉はまた首を縮めた。
階下では、菅子が、牡丹色《ぼたんいろ》のジャケツに黒のジャアジイのスカートをはいて、横坐りになったままで、
「そりゃ勿論、姉さんがだらしがないのさ、だけど、女ってものは三十になったって、あンたのいうような、そンな分別なンてつかないと思うわ。しかも、五年も一人でいたンですもの、子供なンかかまって[#「かまって」に傍点]られないと思うの……」
「母性愛なンてものはなくなるかしら?」
「母性愛? 冗談じゃないわ、そンなことはあンたみたいに御亭主のある人のいうことさ、――あンなにまだ若づくりで、むちむちしてンですもの、苦労してる気持ち判るわよ……」
「おやおや一人者の癖して、よく三十女の気持ちがお判りになりますねえ?」
「判るも判らないも、本当の事よ。蓮ちゃんだって、そうだわ。たった十七だけど、あんなになって、子供の癖にいっぱしの女房気取りで、……一番、あンたを莫迦にしている位よ」
「へえ、私を莫迦に? 何時逢ったの?」
「ううん、一寸尋ねて来たンだけど……まるきり変ってしまってねえ、苦労はしてるらしいけど、一人者のあたしの方が、よっぽど羨ましかったわよ」
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