なっている日ほど、夜になると、不逞《ふてい》きわまる与平の想像がせきを切って流れて行った。相手が動物になってしまうと、もう、与平にとって、哀れでも不憫でもなくなる。意識はひどくさえざえとして来て、自分で自分がしまいには不愉快《ふゆかい》になって来るのだ。自分の寝床へ戻って来ると、息子《むすこ》へ対してしみじみと自責の念が湧《わ》き、千穂子と云う女が厭《いや》になって来るのであった。千穂子に限らず、あらゆる人間が厭になって来るのであった。その厭だと思う気持ちが、前よりもいっそう人づきあいの悪い老人になり、千穂子が荒川区のある産院に子供を産みに行ってからは、与平は釣《つ》りばかりして暮していた。釣りをしている時だけが愉《たの》しみであった。与平だけでは二人の子供のめんどうは見られないので、千穂子は与平に頼《たの》んで、葛飾《かつしか》にある、自分の実家の方に二人の子供をあずけた。母と姉とが、このごろ野菜の闇屋《やみや》になって暮していた。姉の富佐子《ふさこ》は、結婚《けっこん》していたけれど、良人が日華《にっか》事変の当時|出征《しゅっせい》して戦死してからと云うもの、勝気で男まさりなとこ
前へ 次へ
全28ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング