と云うことは哀《かな》しい運命に違いない。子供がまだ腹にあるうちに終戦になった。復員の兵隊を見るたびに、千穂子も与平も罪のむくいを感じないではいられなかった。姑のまつは中風症《ちゅうぶうしょう》で、もう五年ばかりも寝《ね》たきりである。家のものの眼を怖《おそ》れる事はなかったけれども、千穂子は、ぶざまな姿で良人に会う事が身を切られるように辛かった。世の妻たちは、一日も早く良人の復《かえ》りの早いのを祈《いの》っていると云うのに……、千穂子は、一日も遅く良人が帰って来ることを祈っていた。早く身二つになってから、良人の前に罪を詫《わ》びたいと思ったのだ。――妙《みょう》なことには、遠きもの日々にうとしで、日夜、一緒《いっしょ》に暮している与平へ対する愛情の方が、いまでは色|濃《こ》いものとなっているだけに、千穂子はその情愛に悩《なや》むのである。隆吉の姿がいまではぼやけてしまって、風船のように、虚空《こくう》に飛んでしまっている。――与平も千穂子も寅年《とらどし》であった。二|匹《ひき》の雌雄《しゆう》の虎《とら》がううと唸《うな》りながら、一つ檻《おり》のなかで荒れ狂っているような思い出が、千穂子の躯を熱く煮えたぎらせた。若い男とささやきあうような口先で、秘密をつくるようなことはしなかった……。ただ、偶然《ぐうぜん》に、讐敵《しゅうてき》に会ったような、寅年の二人の肉体が呼びあったのだ。田の字づくりの四|部屋《へや》ばかりの家で、北の一部は板の間の台所。台所の次は納戸で、ここには千穂子達の荷物が置いてあった。東の六|畳《じょう》に始め、千穂子たちは寝ていたのだけれども、朝晩の寝床《ねどこ》のあげおろしに時間がとれるので、いつの間にか、千穂子達は万年床のままで置くにふさわしい、与平達の六畳の寝床を使うようになっていた。高い窓が一つあるきりで、その窓ガラスも茶色にくもってまるきり戸外は見えないまでに汚れてしまっている。襖《ふすま》をたてると昼間でも黄昏《たそがれ》のように暗い部屋だった。押入れのはめこみの中の仏壇《ぶつだん》の前に、姑のまつが寝たっきりであった。その次に与平の寝床、真中《まんなか》は子供二人の寝床。それでもう狭《せま》い部屋はいっぱいになってしまう。夏も冬も、千穂子は子供達の後から寝床へはいりこんで眠った。七ツになる太郎は、時々、朝、大きい声で、「おじいちゃん、昨夜、おれの寝床へはいりこんで来たよ。寝ぞう悪いンだなあ……」と笑った。四ツになる光吉も片言で、「おじいちゃん、怖《こわ》い夢《ゆめ》みたのかい?」と聞いている。千穂子は子供の前に赧《あか》くなった。与平はぷつっとして子供からそっぽを向いた。――与平も苦しまないはずはないのだ。毎晩、どんな工面《くめん》をしても酒を飲むようになっていた。だけど、酒を飲むと人が変ったように与平は感傷的になり、だらしなくなっていた。酒に酔《よ》って帰った与平に対して、千穂子が怒《おこ》ってぷりぷりしていると、頻《しき》りに頭をこすりつけてあやまるのだ。深酒をした夜など与平の気持ちは乱れて、かっと眼を開いているまつの前でも与平は千穂子に泣くようにしてあやまるのである。与平にとっては、嫁《よめ》の千穂子が不憫で可愛《かわい》くて仕方がないのであった。隆吉に別れている淋《さび》しさが、千穂子との間にだけは、自分の淋しさと同じように通じあった。千穂子も淋しくて仕方がないのだと、まるで、自分の娘《むすめ》を可愛がるようなしぐさで、千穂子の背中をさすり、子守唄《こもりうた》を歌って慰《なぐさ》めてやりたくなるのである。その可愛さがだんだん太々《ふとぶと》しくなり、しまいには食い殺してしまいたい気持ちになるのも酒の沙汰《さた》だけとは云えないのだ……。器量のいい女ではなかったけれども、餅《もち》のようにしんなりした肌をしていた。よく光る眼をしていた。眉《まゆ》は薄く、顔つきもまんまるだったが、茶色の眼だけは美しかった。髪《かみ》も赤っ毛で縮れていた。K町の実科女学校に行っている頃《ころ》、与平は千穂子にたびたび道で出逢《であ》った。ちっとも目立たない娘であった。そうした無関心でいた娘が、隆吉の嫁になって来てから、今日に到《いた》るまでの事を考えると、与平は偶然な運命と云うものを妙なものだと思った。深酒に酔って、しばらくごうごうといびきをたてて眠ると、夜中になって、与平は本能的に何かを求めた。暗がりの中で、まつが眼を覚ましていようといまいと、与平はかまっていられないのだ。考える事と、行動力は別々であった。皮膚《ひふ》を一皮むいてしまいたいような熱っぽい感じなのである。一日一日罪を贖《あがな》ってゆく感じだった。夜になると、千穂子へ対する哀れさ不憫さの愛が頂点に達してゆくのだった。昼間、決断力が強く
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