ええ、一度出してもらったンですけど、てんからないンですよ。虫眼鏡《むしめがね》でみるような広告が、新しい新聞で八拾円なンですものね」
千穂子は心のうちで、もう一度、伊藤さんに頼んでみようと思った。心は焦りながら、そのくせ、一日しのぎで、千穂子は上の男の子達よりも不憫がまして来ているのである。貰われてゆけばすぐ死にそうな気がした。自分の勝手さだけで、子供をなくしたくない執着《しゅうちゃく》が強くなり、今朝、産院を出て来たばかりだのに、さっきから、赤ん坊の事が気にかかって仕方がないのだ。千穂子のもう一つの考えの中では、姉に打ちあけて、姉の子供にしてもらいたかった。
「いいンだよ。私が勝手に何とか片をつけるもン、おじいちゃんは心配せんでもいいのよ……」
与平はコップを持っていた手を中途《ちゅうと》でとめて、じっと宙を見ていた。大きい耳がたれさがって老いを示していたが、まだ、狭い額には若々しい艶《つや》があった。白毛まじりの太い眉の下に、小さい引っこんだ眼が赤くただれていた。
「何とかなるで……金の工面をした方がよかろう?」
「うん、だけど、これ、私の考えだけどねえ、私、姉《ねえ》さんに話してみようかと思うンだけど、どうでしょう……。そして、隆吉さんが戻って来る前に、私、女中でも何でもして働きに出ようと思ってるンだけど……」
「ふン、太郎と光吉はどうするンだえ?」
太郎と光吉の事を云われると、千穂子はどうにも返事が出来ないのだ。新しい嫁を貰ってもらうわけにはゆかないものだろうかと、千穂子は心の底で思うのだった。血腥《ちなまぐさ》いことにならなければよいがと云う気持ちと一緒に、隆吉が思いきりよく、新しい嫁を選んでくれればいいと云った様々な思いが、千穂子の頭の中を焙《あぶ》るように弾《は》ぜているのだ。
隆吉からは同情的な施《ほどこ》しを受けてはならないと思った。殴《なぐ》るか、蹴《け》るか、どんなにひどい仕打ちをされてもかまわないと思うのである。自分と云う性根のない女を、思いきり虐《さい》なんでもらわなければならないような気がした。そのくせ、千穂子は与平を憎悪《ぞうお》する気持ちにはなれなかった。俎板《まないた》の上で首を切られても、胴体《どうたい》だけはぴくぴく動いている河沙魚《かわはぜ》のような、明瞭《はっき》りとした、動物的な感覚だけが、千穂子の脊筋《せすじ》を
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