て、その男は、鉢巻の手拭で湯呑みとコップを拭いて煮えたぎる茶をついだ。「まア! 貴方も復員のかたなンですか? でも、よく丈夫で、戻つて来られましたンですね?」「どうやら死にもせンで、日本へ戻れたと云ふもンさ……」りよは弁当箱をしまひながら、つくづくと男の顔を見た。平凡の男のやうに感じられるだけに、りよは気安く話が出来、居心地がよかつた。「子供さんあるのかね?」「えゝ、八ツになる男の子がありますけれど、いま、転入とか、学校の事でごたついてをりますンですよ。配給の手続きが遅れてゐるものですから、その手続きからしなくちやならないし、子供は学校へも上れない始末で、全く、商売で忙しいところへ、毎日手続きの事で区役所へまはつてへとへとなンです」
 男はコップを取つて、熱い茶をふうふう吹きながら飲んでゐる。「美味い茶だね」「あら、さうですか? もつといゝ茶があるンですけど、これは二番茶で、原価は一貫で八百円位なンです。――でも、案外美味いつてお客様はおつしやいますわ」りよも湯呑みを両の手に取つて熱い茶を吹きながら飲んだ。
 いつか風向きが変つて、西風が強く吹きつけて、トタン屋根をびよびよ鳴らしてゐた
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