い本のある店の前通つたね……」「さうかい」「見なかつた?」りよはまた後へ引きかへした。どこを歩いていゝのかわけが判らない。二度とあゝした男にめぐりあふ事はあるまいと思へた。「お母ちやん、何か食べようよ」りよは次から次とねだつて来る留吉が急に癪にさはつて来る。白い野球帽子の赤いネームのがかはいかつた。どこへ行くあて[#「あて」に傍点]もなかつた。りよは、河ぶちのしもたや風なバラックの家々を眺めて、家のある人達が羨ましかつた。二階に蒲団を干してあるのが眼について、りよはその家の格子を開けた。「静岡のお茶でございますけど、香りのいゝお茶、如何でございますか?」と、愛嬌のいゝ声で呼んだ。返事がないので、もう一度りよが呼ぶと、正面の梯子段の上から、「いらないよツ」とつつけんどんな若い女の声がした。りよはまたその隣りの家の硝子戸を開ける。「静岡のお茶でございますが……」「はい、いりませんよオ」玄関わきの部屋から男の声で断わられた。りよは一軒々々根気よく玄関に立つたが、一軒もりよに荷をおろせと云ふ家はなかつた。留吉はぐづりながらりよの後から歩いて来る。淋しみをまぎらすために、りよは誰も買つてくれなく
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