けれども、鶴石の小舎には、満足に腰掛もないのでしみじみと落ちつくといふわけにもゆかない。
 りよは鶴石に見られないやうに、買物袋の中の財布をしらべてみた。七百円ばかりの金があつたので、これで、どこか雨宿りさせてくれる宿屋のやうなところはないものかと思つた。「どこか、宿屋みたいなところはないでせうか?」宿屋はないかと云はれて、鶴石は妙な顔をしてゐた。りよは、遠慮しないで、自分の家のことを正直に話した。「だから、私、このまゝで帰りたくないンですの。映画も見て、小さい旅館でもあつたら、そこで、休んで、おそばでも取つて貰つて、愉しくさよならしたいンですけど……ぜいたくかしらね」鶴石も同じやうな事を考へてゐたと見えて、自分の上着をぬぐと、それを留吉の頭からかぶせて、りよと雨の中へ出て行き、近くの映画館の軒下へ走り込んだ。――映画は椅子もなく立つて見なければならなかつたので、人いきれと立つてゐるのでへとへとになり、留吉はいつか鶴石の背中でぐつすり眠つてしまつてゐた。早く旅館へ行つた方がいいと云ふので、一時間位して、映画館を出ると篠つく雨の中を旅館を探して歩いた。芭蕉の葉を叩くやうな音で、雨は四囲に
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