文館通りに近い、小さい旅館に變つた。鹿兒島は、私にとつて、心の避難所にはならなかつた。何となく追はれる氣がして、この思ひは、奇異な現象である。
私は早く屋久島へ渡つて行きたかつた。
實際、長く旅をつゞけてゐると、何かに滿たされたい想ひで、その徴候がいちじるしく郷愁をかりたてるものだ。泰然として町を歩いてはゐるが、心の隅々では、すでにこの旅に絶望してしまつてゐることを知つてゐるのだ。一種の旅愁病にとりつかれたのかもしれない。
四日目の朝九時、私達は、照國丸に乘船した。第一棧橋も、果物の市がたつたやうに、船へ乘る人相手の店で賑つてゐる。果物はどの店も、不思議に林檎を賣つてゐるのだ。白く塗つた照國丸は千トンあまりの船で、屋久島通ひとしては最優秀船である。
曇天ではあつたが、航海はおだやかさうであつた。この船では、一等機關士の方の好意で、誰よりも早く乘船する便宜を受けた。デッキに乘り込んだ人達が、どの人も、金魚鉢を手にぶらさげてゐた。種子島や、屋久島には金魚がないのかも知れない。薄陽の射したデッキのベンチに、どの人の手にも、小さい金魚鉢がかゝへられてゐるのは、何となく牧歌的である。
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