かゝり、橋の下は、深い谷間になつてゐた。橋を渡るたびに膽を冷した。始めて、村道をバスが走るので、原の學校の子供達が、鷄群のやうに走つて、バスを追ひかけて來た。バスはのろいので、子供が何時までも走つてついて來た。運轉手に聞くと、トラックが通る度、子供は二里でも三里でも自動車にくつついて走つて來るのださうだ。子供はみな裸足だつた。
何處まで行つても、右手は峨々とした南畫風の山が連なり、高い山は千九百五六十米もあるのださうだ。標高も七百米の小杉谷斫伐所附近では、年平均氣温が十六度に下り、十二月降雪を見、翌年の三月まで、積雪してゐるといふことである。高山が連つてゐるせゐか、一日中に、晴曇雨が交※[#二の字点、1−2−22]來るところである。バスでのろのろ走つてゐても、時々雨がばらつき、風が吹いた。颱風の通路にあるこの屋久島は、一年中豪雨に見舞はれるのだが、村の財政が窮乏のため、治水對策ははかばかしく運んではゐない。五月の飛魚と、甘藷と、甘蔗、それに林業くらゐが、この島の財政である。
麥生の部落で、二人の乘客は降りて行つた。
四里あまりのところを、二時間くらゐもかゝつて、やつと、お晝頃、尾の間の部落へバスは着いた。下屋久の村役場へ行き、こゝで、案内して貰つて、私は黒砂糖を製造するところへ行つてみた。珍しく陽がきらきらと射してゐるので、かなり暖い。或る路地の奧ではバナナの實つたところもあつた。ところどころに噴井戸のやうな石疊をきづいた井戸があり、五六人の手で圍むやうなあこ[#「あこ」に傍点]の樹の大樹が青々と繁つてゐた。葉をむしると、柔く柿の葉のやうなかたちをしてゐた。このあたりまで來るとひげを垂れたがじまる[#「がじまる」に傍点]の大樹もかなり多い。蜜蜂の箱を並べたやうな墓地を珍しく眺めた。
萱葺きの小舍がけのなかで、甘蔗を砂糖に煮てゐるところへ出た。竹の莖のやうな甘蔗をモオタアのかゝつた絞り機械で、汁を絞り、それを煮て、白いにがりで[#「にがりで」に傍点]固めると、丁度かるめら[#「かるめら」に傍点]のやうな色をした砂糖が流し箱へうつされる。原始的な、素朴そのものの砂糖製法であつた。村の人達が集り、相寄つて黒砂糖をつくつてゐるのだが、この素朴な砂糖も、一斤について、十八圓の消費税がかゝり、その上にまた所得の税金がかゝるのだと、村の人はこぼしてゐた。
芭蕉の葉に、一塊の黒砂糖を包んで貰つた。終戰直後は、この砂糖の買ひ出しに、屋久島あたりも賑つたやうである。甘いものに興味のない私は、芭蕉の葉に包んだ砂糖をもてあましてゐた。砂糖はこげ臭い匂ひがした。鹿兒島の町の市場でも、百匁九十圓でこの黒砂糖を山のやうに賣り出してゐたが、菓子のかはりにするのだといふことであつた。鹿兒島の江戸屋といふ喫茶店で、この黒砂糖を入れたコーヒーを飮んだが、苦甘い砂糖水を飮んでゐるやうであつた。
四圍は珍しく陽が輝き、靜寂である。四圍が森閑としてゐるせゐか、私はひどく疲れてゐるのを感じた。麥束を背に負つた、裸足の娘に行きあつた。女のよく働くところである。山々は硯を突き立てたやうに、部落の上にそゝり立つてゐる。陽の工合で、赤く見えたり、紫色に見えたりした。私達は、その山にみとれてゐた。案内の人は、もつちよむ山だと教へてくれた。花崗岩の巨峰は、日本のマッタホルンとも言はれると聞いた。
暫くして、私は海の方へ降りて行つてみた。かなり激しい斜面をなした狹い石道を、海ぎはへ下つて行つた。波が荒く、白い馬が海原を走つてゐるやうに見えた。私は、ふつと、人間に觸れない景色にはたへられないやうな淋しさを感じた。種子島に住んでゐる、朝日新聞の通信員の若い日高さんが、暫くかうした島に住んでゐると、狂ほしくなりますと言つた言葉を想ひ出してゐた。急に人戀しい氣持ちになつて來るのだ。こゝからいくらも離れてゐないところに、馬毛島や硫黄島があるのだけれど、俊寛的な孤獨な氣持ちが心を掠める。ごろごろした石ころのなかに、白く風化した珊瑚礁が混つてゐた。花模樣の透し彫りのやうな白い石である。――屋久島のどこかの學校では、PTAが、砂糖の密貿易をして、學校を建てた話も聞いたが、宮の浦あたりには、時々琉球や大島あたりから、船がはいつて來る樣子である。
嶮岨な山壁を見てゐると、何事もない、人跡絶えた島にも見える。千年近い屋久杉があの山中に亭々とそびえてゐるのだ。海沿ひは年中温暖な土地と見えて、どの樹木も夫婦木のやうに、根元から二本に分れて大きくなつたものが多い。松は本土のやうにひねくれた枝ぶりを持たない。みな空へむかつて、箒のやうに繁つてゐる。村の娘達は、すれちがふたびに、旅人の私達に、丁寧にあいさつをして通り過ぎて行つた。
尾《を》の間《あひだ》には温泉もあると聞いた。
屋久島では、砂糖が
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