主産物だが、そのほかにも、ポンカン、飛魚、牛馬、海藻類、木炭、松脂、木材、樟腦、皮革といつたものが移出される。私は、甘蔗の刈入れられた荒凉とした畑地を見ただけで、ポンカンの並んでゐる店先を一軒も見なかつた。時々、人家の軒先に、犬の皮の干してあるのを見た。
 島をめぐる道は只一本しかない。それも非常に惡路である。この村では政治に對する氣持ちは無關心とも言へる程度なので、判然りとした黨派はない樣子だつた。淳朴な氣風は、私の見た種子島とは、多少違ふのではないかと思へた。新聞購讀者の表を見たが、南日本が三百六部、朝日が八十七部、毎日が六十八部、讀賣が十三部、アカハタが二部となつてゐた。新聞の普及率は總戸數の二三パーセントに過ぎないさうだ。
 バスで、夕方の五時頃、安房へ戻つて來た。途中幾度か雨にあつた。海はかなりしけ[#「しけ」に傍点]て來た樣子だ。三百五十トンの橘丸が明日は來るだらうといふのだが、このしけ[#「しけ」に傍点]では船は來さうにも思へない。宮の浦までならば、來る可能性があるといふので、私達は思ひきつて、さつきのバスに頼んで、宮の浦まで出てみたいと思つた。四圍は昏くなりかけてゐる。二階から海を見ると、かなり大きい波が高くひくく水平線を動かしてゐるやうに見える。
 夜道をかけて、バスが宮の浦まで出られるかどうかを、交渉に行つて貰つた。宮の浦まで五里。これから夕食をして出發するにしても、十二時近くでなければ宮の浦へは着けさうにもない。尾の間へ行くよりもまだ惡路で、それに道中がひどく狹いのださうである。
 バスは行きませうといふことだつた。私達は食事もそこそこに、またバスに乘つた。バスの乘り場で、私は、朝方見覺えのあるおばあさんに逢つた。麥生から安房までの二里あまりの道を裸足で味噌を買ひに來たおばあさんであつた。私は吊橋のところの荒物屋で鉛筆を一本買つて、そこで茶をよばれた。親切な荒物屋の主人であつた。おばあさんはこの店へ味噌を買ひに來たのである。二里の道を裸足で買物に來たおばあさんに、麥生までバスに乘りませんかと言ふと、おばあさんは、乘物に乘ると氣持ちが惡いから折角ですがと斷つた。荒物屋の主人の話では、裏側の永田部落や、一湊《いつそう》あたりの人は、自轉車も自動車も知らない人があるのだと言つてゐた。安房の村さへも見ないで死ぬ人もあるのだと話してゐた。おばあさんは買物
前へ 次へ
全13ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング