をかゝへて、これからの夕暮れの道を、麥生まで歩いて歸るのである。二里の山坂は、このおばあさんにとつては少しも淋しい道ではないのだらう。
六時頃、バスは動き出したが、いくらも行かないうちに、バスは度々泥地にめりこんで、四圍の山林から木裂をひろつて來ては、タイヤを持ちあげるのに苦心した。若い助手も入れて、運轉は三人の男がかはるがはるハンドルを取つた。七時頃、とつぷり暮れた。時々通り過ぎる部落は、ランプの燈がとろとろ燃えて、子供達が叫びながら、家から走り出てバスを追つて來た。夜道のせゐか、ジャワの山の中の部落を通るやうな氣がした。
どの部落も、屋根には石が乘り、硝子戸のない、雨戸だけの軒のひくい家が、ジャワの土民の小舍のやうに、道の兩側に並んでゐた。その家々の狹い入口から、ランプの燈がとぼつてゐるのが見える。バスのヘッドライトに照される子供達は、輝くやうな眼をして、バスのぐるりに寄つて來た。子供達は喚聲を擧げた。みなバスのヘッドライトを浴びて、銅色の顏をしてゐた。バスは道いつぱいすれすれに、部落の軒を掠め、がじまる[#「がじまる」に傍点]の下枝をこすつて遲い歩みで走つた。私はしつかりと窓ぶちに手をかけて、暗い道に手を振つてゐる子供達を見てゐた。かあつと心が燒けつくやうな氣がした。家々に歸り、子供達は、二つの眼玉を光らせたバスのヘッドライトを夢に見ることだらう。私は時々窓からのぞいて、暗い道へ手を振つた。
夜道は長くつゞいたが、雨は降らなかつた。沁々と靜かな夜である。バスが停るたび、地蟲が鳴きたててゐた。むれたやうな、亞熱帶の草いきれがした。月が淡く樹間に透けて見えた。どうすればいゝのか判らないやうな、荒漠とした思ひが、胸の中に吹き込む。もう、二度と來る土地ではないだけに、この夜は馬鹿に印象強く私の心に殘つた。珊瑚礁に圍まれた屋久島の夜は、遠い都會の騒々しさは何も知らない平和さだ。私は旅へ出て新聞も讀まない。持つて來た本も讀む氣がしなかつた。
汽車や自轉車もまだ見たこともない人もゐるといふ、島の人達に、都會の文明は不要のもののやうに思へた。私はスケッチをするひまもない短い間だつたが、何時でも描けるやうな氣がした。鉛筆なんかより油繪具をつかひたい色彩だつた。子供は繪になる生々した顏をしてゐた。娘は裸足でよく勤勞に耐へてゐる。私は素直に感動して、この娘達の裸足の姿を見送
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