の胸へ押しつけてゐた。氣位の高い、肉の厚い女が、野性になつて來るのを見て徹男は、いたはるやうにたか子を長椅子へ連れて行くと、雨で冷くなつた自分の頬をたか子の膏の浮いた額へぢつと押しあてるのであつた。
その日から、二人は人目をしのぶ仲になつてゐた。東京へ歸つてからも、たか子は口實をつくつては徹男に逢ひつづけてゐた。
初冬になつて、堂助が朝鮮へ寫生旅行に出かけて行くと、たか子は徹男を誘ひ出して伊豆めぐりなどをしてゐたが、何時かたか子と徹男の關係は徹男の兄の佐々博士に知られてしまつてゐた。
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――ごめんなさい。もう、これだけの思ひ出として、二人のことは溟心共に消えてしまひたいと思ひます。霧散さしてしまつて下さい。軈て何かの折に、僕の氣持ちをお應へする折もあるでせう。お躯をお大切に祈りあげます。
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そんな、呆んやりした手紙が徹男から來たきり、たか子は徹男にふつつり逢ふ機會がなかつた。泣いては怒り、怒つては考へ深く想つてみたりしたが、溟心共に消えてしまつたと云ふことは、たか子の年齡にとつて、一番胸に浸みる言葉であつた。
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